旅の写真館 Vol9〜廃線から3日の島原鉄道南線沿線をたどる旅〜



 2008年3月31日、長崎県の島原半島を走っていた島原鉄道南線(島原外港〜加津佐間)が約80年の歴史に幕を閉じた。
 廃線直前の「乗り納め」も収まり、日常の風景に戻った4月3日、廃線跡をたどる旅をした。
 諫早駅を12:21に発車する急行列車に乗車する。
 廃線に伴うダイヤ改正で増発された急行列車だが、1両の列車に乗客は約30名ほど。
 途中、本諫早・愛野・吾妻・神代町・多比良町・大三東・島原からの各駅に停車するが、愛野と多比良町の乗降が多く、島原でほとんど下車。
 数名の乗客になり、車庫のある南島原につく。

 

 南島原駅構内には3月まで活躍していた「キハ20型」が留置されていました(左写真)。
 構内を転線するため、アイドリングしている車両もあって、独特の「カランカラン」というアイドリング音も聞けました。
 南島原駅は創業当初以来の古い駅舎が残っています(右写真)。
 徒歩で数分の湊広馬場バス停から「代替バス」に乗り換え。
 どこの地方交通でも同じなのですが、乗客のほとんどはお年寄りと通学の高校生。代替バスで使われているのは貸切バスと同様の形式のバスである。言うまでもなく、鉄道と比べれば狭い車内である。
 代替バスは島原市内で島原港と県立島原病院に寄る。港から乗ってきた2人連れは大きな荷物を持って大変そう。島原病院では乗客ゼロ。病院の前には広大な駐車場。患者さんは公共交通機関ではなく、自家用車で乗り付けてくるのだ。
 島原市内を抜けると、突然、違う風景が広がる。雲仙普賢岳の土石流被害から復興した地域である。
 「復興アリーナ」や新しい住宅地が広がる中、島原鉄道の比較的新しい橋梁や高架も見える。災害から見事に復興して運行を再開したのが平成9年。しかし、立派な橋梁や高架はわずか10年少しの間しか運行されなかった。

 その後は、代替バスが走る国道251線と島原鉄道南線はほぼ沿って走る。
 車窓左手に見える有明海の向こうには天草諸島。右手には雲仙の山並み。長閑な風景が広がる。
 乗車した代替バスは途中の西有家止まり。次の加津佐行きを待つ間、西有家駅跡を訪れる(上写真)。もう2度と、この駅には列車は来ない・・・。
 次のバスを待つが、遅れてなかなか来ない。
 バスを待っていた高校生からは「おっそ〜い!」と苦情が・・・。鉄道とバスを比べた時、鉄道の優位性はこの「定時性」である。バスは道路事情や乗降に手間取るため、どうしても遅れがちになるのだ。
 結局、10分遅れて到着。今度の代替バスは廃線に伴い導入されたのか、新車のノンステップバス。乗客は10〜20名程度。
 やはり、ほとんどの区間で島原鉄道南線と併走、途中、「島原の乱」の原城跡などを通る。口之津でほとんどの乗客が下車する。
 加津佐から諫早へは、半島の西側(小浜経由)を通るバスに乗る。口加高校前から新入生が大量乗車(とは言っても十数名だが)。
 バスで30〜40分かかる、旧南串山町や小浜町内でほとんどが下車。口加高校から運賃も片道で¥600〜¥800かかり、通学定期の割引があるとはいえ、通学も大変だろうと思う。


 揺られながら、日本の端とも言える、この島原半島で「地域格差」というものを実感したような気がした。
 島原鉄道南線沿線に住むある住民が「駅がなくなるということは、町の玄関がなくなるようなもの」と語っていたが、鉄道のない町は何か灯を失ったように思えてならない。
 「ガソリンの暫定税率廃止」「道路予算の一般財源化」などが話題となっているが、地域の足である公共交通機関を守る取り組みがどこまで成されているのだろうか。今、地域の交通弱者(お年寄りと子ども)を結果として切り捨てるような政治がおこなわれているようでならない。
 もっとも島原鉄道南線を見る限り、いくつかの課題(@遅延、A島原鉄道側の案内不足:車内での乗り換え案内なし、バスの時刻表の掲示なしなど)はあるものの、廃線前は1本あたりの乗車数が多くても20名程度だった島原鉄道南線(南島原市役所資料による)の乗客数を見る限り、廃線やむなしと思った。むしろ、残った北線も決して安泰という状況ではなく、地元・企業側一帯となった利用促進策を立てることが急務であろう。地域の象徴であると言っても過言ではない鉄路を守る努力が、何より地域と地域の中核企業である公共交通を担う企業に求められている。